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2017年04月05日 スタッフブログ

道は決まった。
しかしどうやったら美容師に短期間でなれるのか?
僕はすぐに行きつけの美容院を訪れ僕の担当美容師さんから話を聞く事にした。
僕が美容師になりたいと話したら担当者はじめサロンスタッフみんなが
好意的に話をしてくれました。
先ずは美容師になるには国家資格である美容師免許が必要だと分かった。
美容師免許を取得するには美容学校に入学し卒業しないといけない事が解った
そしてその学校には一般的な昼間の中間部クラスと、働きながら通える夜間コース、そして通信講座による受講の3つの方法があり、その当時日中の一般的なクラスでは1年間、(今は2年間)夜間は1年半、通信は確か3年間の受講が必要でその費用も中間クラスは高く夜間クラスは期間は延びるが費用は少し安く、通信講座はかなり手ごろな値段だが美容師免許を受験できる資格を持つまでに3年と言う時間が必要であった。
親から勘当されている僕は資金的な援助がない為、自身で入学金や授業料を支払う為のお金を貯めるところから始めなければならなかった。
日雇いのバイトではこの学校費用を貯めるのに時間がかかり過ぎるので新たに他のバイトを掛け持ちで出来る仕事を探した。
見つけたのが築地の青果市場の仲買(おろし問屋)の店のバイトである。
その当時一般的なバイトの時給が600円―700円だったが築地は深夜、零時から翌朝まで配送が入ればお昼までの昼と夜が逆転した仕事なので時給が1000円以上と他のバイトより3割ぐらい高かった。
築地市場は一般的に魚の取引が行われることで有名だが青果市場もあり生鮮食品の野菜の売買の市場もあるのだ。
市場は毎日活気に満ちていた。
だみ声でセリが毎日行われていてここから東京中に住む人たちに向けての食料が仲買を通じてスーパーや飲食チェーンなどに売られ、そして僕たちの生きる糧になる食材や料理が提供されるのである。
市場の中には働く人の為の食堂もたくさんあり毎日新鮮な魚や野菜を使いかなり格安な値段で食事が出来たことは本当に良かった。
その他にも築地界隈には有名な定食屋や一般人を対象にしたマーケットが沢山あり最近は一般の人も人気店に集まり行列を毎日作っている店もある。
しかし市場で取引される値段は半端なく安い事に驚いた。スーパーで買う価格の半値かそれよりも安く買えるである
僕も三重に住む母に籠いっぱいの高級食材のマツタケを買って送った事があった。
父とは依然断絶状態だったが母親はちょこちょこ心配してか電話をかけてきてくれていた。
そして母に美容師を目指して築地でバイトし美容学校の入学金や授業料のお金を貯めている事を話した。
母親はその話を聞いた時「なんだか美容師の仕事は勇人に向いているかもしれない」と直感的に感じたらしい。
そのことを母が父に話したら「どうせ長続きしないと」バッサリ答えたそうだ。
しかしその後、母親が父を説得し美容学校に入る入学金や授業料をサポート工面するから
早く学校に行きなさいと母から説得された。
僕は前回の音楽系の東放学園専門学校では親が出してくれた高額な入学金と1年間の授業料をドブに捨てた様なものでまた途中で退学したら今度こそ父から何言われるか恐ろしかったので一旦は断った。
父は貧しい家庭環境で育ったのでお金の事には非常に厳しい人であった。
母子家庭で育ちまともな教育も受けず中学卒業してから働き、就職したカツオ船では2度の遭難を経験し、独学で船のエンジンの事を学び単身赴任で神戸の大手船会社の機関長として再就職、ベネズエラへの海外赴任の辞令を断り、地元伊勢志摩に帰り地場産業である真珠の加工業を右も左もわからないのに始めたが巡り合う人達に助けられ真珠の加工業ではそれなりに成功し、真珠御殿とも呼ばれる家も建造した父なのでお金に対する執着は強い人であった。
母子家庭に育つと言う事はかなり経済的には厳しい環境で高校に進学するよりとにかくお金を稼げる仕事をもして母親を早く楽にさせたかったそうである。
今の時代自由に自分がなりたい職業や仕事を選べる時代である。
父の時代は戦後で日本は復興を目指して職業や仕事を中卒では選べる時代ではなかった。
今の現代に生きる若者はどれだけ幸せなのだろうか?
と考えるが最近は逆に自分が何をしたいのかわからない若者が多い気がする。
やりたいことが見つかるまでは何でもご縁ある仕事をすることだ。
仕事はやっているうちに好きになる事もある。
その逆もある。
大好きな仕事だからこそやっているうちに現実の自分と仕事のギャップが生れ嫌になり辞めてしまう人も多い。
とにかく今の若い世代は忍耐力がないし過保護に育てられたせいか優しいがいろんな意味で全てに根性や意欲がなさすぎる気がする。
平和主義でことなかれ主義。
自分には関心はあるが他人や社会情勢には関心ない人が多い気がする。
この宇宙世界は調和で出来ている。
この世の万物にはそれぞれに役割があり、どれがかけてもダメだ。
人間の臓器や体みたいにそれぞれが自身の働きをすることで他の臓器や人間の体全体の調和を保っている。
人間は本来、他の人に対して調和した存在じゃないといけないのに現代人は自身に関わりない事には無関心な人が多い。
マザーテレサは言った。「愛情の反対語は無関心だと」そう何事にも自己中心で他人の事には無関心な人が多い世の中になっている気がする。
僕も人の事を言えた義理ではないと思うが。
今の時代、インターネットの普及で便利な世の中になったのかもしれないが情報が多すぎて何を判断するにも現代人は忙しすぎるのかもしれない。
よってどんどん他人には無関心になった人が多いのかもしれない。
話が随分脱線してしまったが話を元に戻そう。
美容学校に入学する事で一度三重の伊勢志摩の実家に帰って来なさいと言う事になり
勘当されて居たはずだが今後を話し合う為に実家に一年ぶりぐらいに帰省した。
両親の前で今後僕は美容師を目指すと話をした。
相変わらず父からは腐されたが母親だけは協力的であった。
今のバイトでは学校に入学するお金がたまるまでかなり時間を要するので
両親がお金を工面するから学校に早く入学しなさいと言う事になった。
ただし途中退学したら全額返金する事が唯一の条件であった。
今考えると本当に親の愛情と言うものの深さが理解できるが
その当時の自分はまだまだ子供でなに一つ親の愛情が解らない小僧であった。
このころの子供の僕の気持ちはやくざからお金を借りたような気分であった。

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